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チョコミント論3

チョコミント論


チョコミントとはチョコとミントの組み合わせによって成り立つフレーバー、味。
代表作はアイス。

 

パティシエたちの、あるいはチョコミント学者たちの定める本来の定義は知らないが、ここでは上の定義のもとに話を進める。

 

 

チョコミントとは組み合わせの産物である。

組み合わせというのはその組み合わせる物の比率によって結果を変えることができる。

チョコミントで言えばもちろんチョコとミントの比率である。

 

個人的な見解ではあるが、チョコの比率が大きいほどより大衆に向けた味になるだろう。逆にミントの比率が高くなるとチョコミントの好き嫌いの別れる部分というのがより顕著になる。

つまりチョコミントに求めるミントの比率でその人がどれだけコアなチョコミント好きかをだいたい見ることができると言える。

 

もちろんそれが好き度に直結するとは言えない。そもそも好きである度合いを数値化する必要はない。

なぜなら比べる必要がないからだ。

 

しかし、

かつては私もチョコミントにおけるミントの比率ばかりを気にして

「ミント比率が高い方がより好き度が高く偉い」

「ミント比率の低いチョコミントばかり食べているのはにわかである。ミントがいらないんだったらチョコを食え。」

などとメジャーチョコミントに唾を吐き、よりマイナーでディープな世界に身を落とし

「チョコの甘さなどいらない、欲しいのはミントの刺激だ」

という極端で危険な思想を持っていた時期もあった。

 

もしここで踏みとどまっていなかったら葉っぱのミントそのものに手を出し、そして自宅での栽培まで始めていたかもしれない。オシャレだ。

 

しかし私はそのようなスタイリッシュガーデニング男になる前に気づいたのだ。

 

「チョコなかったらチョコミントじゃないじゃん」

ということに。

 

我に帰った瞬間私は咥えていたミントの葉っぱを即座に吐き出し、口に残る強すぎる清涼感を収めるためにチョコをかじった。

(まだチョコの存在を認めていた頃に買っていたチョコをなぜか捨てられずにとっといてあった。心のどこかでは自分の異常さを自覚していたのかもしれない。)

 

チョコをかじり、口の中でミントの残り香と共に味わう。

 

チョコのしつこい程の甘さをミントの清涼感が相殺してくれる。ミントの辛み、そして葉っぱとしての苦味。それらをチョコがまろやかに覆ってくれる。

 

私が求めていたのはこれだ。

 

チョコとミントがお互いにお互いを補い合い、より高みへと到達する感覚。

 

口の中を満たすハーモニーに私は静かに涙を流した。

 

「なにがコアなチョコミント好きだ。

私は君のポップでキャッチーな部分が羨ましかっただけだ。ミントの爽やかさの裏に苦味を隠したどこか影のある部分に自分を重ねていたのだ。

でもやっと、ミントはチョコとセットになってやっと純粋に爽やかでいられるって。君の土台無くしてはミントは自由に爽快感を振りまけないんだって気づいたんだ。今までごめん。

また、共に歩んでくれないか?」

 

私はチョコに気持ちを伝え、謝罪した。

 

彼は何も言わなかった。

 

しかし彼の答えを知るのに十分すぎるほどの幸せが口の中を満たしていた。

不器用な彼らしい返答だ。

 

私は涙を拭い、チョコを飲み込んだ。

ミントの清涼感によってチョコの後味がしつこく残ることはなかった。

 

私は静かに、そして力強く、コンビニに向かって歩き出した。新発売のチョコミントアイスを買いに行くのだ。

 

自分に嘘をつくのはもうやめだ。

これからは本当に好きなチョコとミントの比率を求めるのだ。

例え周りに、にわかだと批判され笑われようとも、好みのチョコミントが食べられればそれでいい。

 

この時また一つ、私は大人になった。

外に出ると、爽やかな風が吹いていた。