社会に対する自警団

 

友達ってなんなのかっていうのは決まった正解の出ない問いのひとつだと思いますが、てかある一人の人にとっても色んな意味の友達があるね

自分の中で友達がなにかっていうのももちろん色々あるんだが、最近はお互いに助け合ってお互いが良く生きれるようになるための存在って友情関係(というか恋人とか家族とか含めた全人間関係ですね)のひとつの理想だなあと思います

 

この考え方、言葉としては理解しやすいし普通そうじゃんって感じかもしれないですけど、意外と人間関係の実態ってこうではないんですよね、周りみててもそうだと思います

友達のことってけっこう褒めにくいよね、照れとかもあると思うんですけど、厄介なのは、仲良い人ほど雑に扱うみたいな感覚が割と一般的であることかと思います

 

そんなことないですからね

全然褒められたいもんね、仲良い人からだとなお嬉しいし

褒め合ったり好きとか言ったりし合う人間関係は実は薄いみたいなの、知らね〜〜〜!じゃないですか?それはその人がそういう嘘の関係しか築けてないだけで、そんなこと言ってくる人よりも自分を褒めてくれる友達を信頼した方が700倍サイコーじゃんね、そういう無粋な人たちに代わりに言っときます、バーカ

色々言ってくるつまらない人たちに負けないために、おれは個人としても面白く強く優しくかわいくありたいし、そういう人たちと仲良くなって楽しいねかわいいね優しいねって言い合いながら楽しく生きていきたいと思うんだよな、

別に社会がクソで俺たちで変えてやるみたいなことでなく、でもたまに社会は確実に暴力を振るってくるので、そういうのに負けず、一緒に社会を変えようという同調圧力にも負けず、シンプル楽しくやってくための全てを助け合ってやっていく、互助会とか自警団みたいな関係性が、けっこう重要なんじゃないかなと思うね

会とか団とか言ってるけどキッチリ組織になったらそれは違うので違うんだけどね、仲良しグループを作りたいわけじゃないのよ

 

まあとにかくやることは頑張ってやっていくことと、友達がお、やってるな〜!みたいなときに変な照れとかなくやってんね〜!とワイワイしていくことですね、Do&Do&ダンスです、踊るぞ〜〜〜

 

愛を言い訳にしない!

 

結局人間なんだから理性的に生きるべきではという話ですね

 

感情や感覚はすごく大事なんだけどそれが衝動になった時に一旦自分の中で審査にかけられるかというのがすごく重要な気がするんですよね

そこが人間の本領発揮ってもんですよね〜まあこれはみんなわかってると思いますが

自分が座りたいからって人のイスを無理やり奪ったらヤバい目で見られるし腹減ってるからってそのへんの食べ物勝手に食べたりしたらダメですからね、当たり前に

でもそういうのが恋愛とか性の部分ではまかり通ることが割とあるのがヘイ人間よどうしたんだってところですね

だって好きだから!って言いながら人殺したらなんかちょっとドラマ生まれるのなんなんですかね、いやただの殺人ですよね、そんな一個人の感情の起伏に飲み込まれて人が死んでいいはずがないんですよね、少なくともおれはそんなのやです

そもそも何かを愛することってすごいしんどいんですよね、もちろん愛は人生を豊かにする素晴らしいものですけど何かに愛を注ぐことはすごいコストかかるんですよね

自分一人のくらしがままならない人が手を出すべき娯楽じゃないんですし、

愛することがしんどくなったら中断すればいいし愛せるものがなければなにも愛さなくていいんですよね

そこを恋愛最高みんな誰かに恋してるみたいなかりそめの風潮が邪魔してるんだよな、みんながみんなをそこに縛りつけあってるというかね、これは危ないね

何かを愛せる状況じゃないのに愛したり、愛するものがない焦りから行動や態度だけそれっぽくやってみたり、そんなのはすごく悲しいことだし不幸しかうまないんだよな

愛情は色んな衝動と連動するヤバい感情なので圧倒的な理性をもってそれを制御しないと簡単に人間はヤバくなるんだよな、おれはそんなのは認めない

好きだったんだもんね、仕方ないね、じゃないんだよ

愛情っていうヤバい感情を有するからには危機感をもたないと

本来幸せになるための感情なんだから誰かが嫌な思いする愛の使い方は間違いだと思うんですよね

あと単純に恋愛感情と愛情は違うしね!

 

おれは人類を愛しているから色々悲しくなったりもするけど、そういうときはだいたい自分がブレたり弱ったりしてる時なので、愛情大使の仕事一旦休んで好きなもの食べて寝まくったりするし

まだまだ弱理性なのでどんどん圧倒的にしてめちゃめちゃデカい愛でみんなのこと超理性的に愛するので頑張るぜ

もちろん理性の審査通ったら衝動でも動くけどもね!そのために理性をバキバキにします!がんばるぞ!幸せのために!みんなで幸せになるぞ!

2017年末にあたって

 

クリスマスも終わりいつの間にか年末で、忘年会が終われば年明けの新年会、冬を越したら花見をしてGWが終わったら夏休みを目指してしばらく頑張る

というように見慣れた一年がまた新しくやってくるわけですが

クリスマスパーティとか忘年会とか、なんとなくそういうイベントって強いひとたちのものな気がしますし、実際現状はそうかもしれないですね

となれば強いひとたちの逆にいる、そちらを日向とすればこちらは日陰の人たちは、自分たちが目の敵にしている集団のものである様々なイベントにその都度石を投げるわけですが

でもこういうイベントってむしろあんまり強くないひとたち

(さっきから強い弱いと言っていますがそこまではっきりした定義は自分にもないのでなんとなくでわかってもらえたらいいです)

にこそ必要というか、そういうひとたちこそ本当は求めてるような気がするんですよね

イベントというよりかはその口実の先にある"人と集って何やかんやする会"というものが、我々には必要なのであると

どうしようもない一年を忘れたいのも、また一年が始まる憂鬱や春の不安、夏の漠然とした気だるさ等などをなんとかパーっとやりたいと望んでいるのも自分たち(というかおれはそう)のようなちょっとしたことで泣いちゃう人間なんじゃないかなと

でもそもそも集う相手がいねんだよな、そういうひとは

となるとまずは周りにいい感じに好きな人たちが集まってくるような状況にしなくちゃならなくて、そのためには人間的魅力をつけなくてはならなくてそのためには…もうめんどくさくてまた同じ何もしない日を過ごしそうになりますが

そんな日を350回強続けるとまた年末たいへんな後悔を背負うことになるのでね

そういう後悔の中で感じた、なんとか不幸の隙を見て努力せにゃならんなという自分への戒めなんですが

あんまり努力しないでも(これは醜い偏見です)色んなものを手に入れて、おれたちの望むようなパーティライフまで手に入れちまってるような連中には、最終的には勝ってやりたいなと、羨ましすぎるのでね

 

なにが言いたいんだということなんですけども、来年から本気を出すのでよろしくたくさん遊んでねっていうことです

 

今年もそれなりに楽しくわりかし悲しいこともありましたし来年もそれはあり続けますが、負けたくねえということですな

あとあれだ、人を傷つけたくないですね、ちゃんと自分の持ってるナイフの長さを把握してる人間になりたいです

(ナイフを捨てちゃうのはなんか違う気がする)

 

そういうのも含めて、負けたくねえ〜〜〜〜〜〜って感じですね、なんも具体的なこといってないけどそんな感じです

 

🕴🏼

月が歪む

‪月に行く、彼はそう言い橋の欄干に登り、

月に向かって飛んだ。‬


‪次の瞬間に彼は闇の中へ消えた。‬


‪真夜中の井の頭公園の池はどこまでも暗い闇だった。‬‪

 

「オッ…ボ…た…ッけ…て…」‬
‪彼はもがきつつ、異星の言語のようなものを発した。‬

ぽつんと水面に映る満月が、彼の起こした波で揺れた。‬

壁に我あり



これは重大な問題ですよ。

実は前々からこのようなことは思っていたんだけども、このカメラ目線いる?

我々は高橋一生くんがお相手の女性と仲睦まじく触れ合っている様子を外から眺めてほっこりしたいのであって、高橋一生くんからの目線なんてこれっぽっちもいらないんだよ。

我々は壁や天井になってこっそり見守っていたいのになぜ。

そのカメラ目線によって我々は壁や天井から切り離され元々の自己として、一個人として空間に規定されてしまう。

おかしいじゃないですか、一生くんが彼女をハグしてる場面の至近距離に自分がいるなんて。しかも一生くん彼女抱きしめながらこっちみてるし!なにその微笑み

引用したツイートにもあるように自分という登場人物が増えることで色々と余計な解釈をせざるを得なくなるんですよね、2人の関係を見ていたかったのに自分が登場してしまうことで3人の関係性がどういうものなのかめちゃめちゃややこしくなってしまう。

だから目線なんていらないんですよ。人間として存在させて貰わなくて全然大丈夫なんで。

壁や天井でいさせて下さい。

それか一生くんに抱きしめられてる彼女目線のVRを出してください。

ペット、SMAP

年明け早々にうちに犬がきた

来たというよりは連れてこられた、と思ってしまう

元々うちには猫がいて、その前にも猫がいた

だから今いる猫は死んじゃった前の猫の代わりに連れてこられたんじゃないかって思ってしまう

猫と遊んでても、ふと「この猫は幸せなのかな」とか考えてしまってなんとなく楽しく遊べない

猫も犬も気持ちを言葉で聞くことはできないしどんな状況でも淡々と生きてるけど、親とか兄弟と離れて、飼い主がいなければまともに暮らせない環境で、ずっと同じ部屋の中で生きるのは幸せなのか考えてしまう

命の大切さを学ぶための教材として命を扱うことは命を疎かにしてるようでならないんだよな

飼ってる犬や猫が自分達のことを家族として認識してるとして、ちゃんと自分達は対等な家族として認識できてるだろうか

もしそうでなかったら、こんなに悲しいことはない

ペットも友達も家族も恋人も同じだよ

自分のものにしたいと、所有してると思ってしまいがちだけど、それは本当に怖いことだ

 

でもこんなに色々考えてても、実際に利益を生む、価値のある存在には勝てない

 

ペットのことどんなに対等に思ってても、思ってるだけじゃ何も無いのと同じで、完全に見下してても実際に遊んでくれる人に懐くのは当然だ

俺は犬のこと対等に見すぎて人見知りしているので、どこかおもちゃみたいに思ってる妹の方に犬は懐いている、遊んでくれるからね

何に対して何を思ってても、もし仮にそれを伝えることができても、思いだけじゃ結局実益のある何かには敵わないよな

だから俺は何にも劣っている

きっと俺より最低で倫理も道徳も破綻してる人間はたくさんいるだろうけど、その人がお金でもなんでも何かしら持ってたら俺は手も足も出ないんだよ

やだな~

 

全然話変わるけど、なんかさっきSMAPからファンへのメッセージが公開されてた

時間帯もあるしついさっき公開されたばかりってのもあるかもだけど、それにしてもあまりに話題になってなくて、そんなもんかと思った

解散する前はあんなに騒いでたのに、ほんとに終わってしまったら割とあっさりなんだな~、結局流行り物の感覚だったんだな

でも少なくともその時はみんな本気だったんだろうし、本気って意外としょぼいんだよね、というか長持ちしないんだな、みんなそんなしょぼいものが本気だとは認めたがらないけど

なんだかな

俺の本気はどんなもんなんだろうな

なんとなくたかが知れてる感じはしちゃうけど、それはやっぱりまだ本当の本気じゃないってことにしとこうかな

 

 

何も持ってないけど楽したいから全部すぐ諦められるようになったよってこと

嫌な話だ、全部自分の話